食すように聴く 

食は、とかく様々な事柄に喩えられる。

たとえば、火の神様がついている(と自称するくらい料理が上手い)母は、「食べることは生きること」と歌うようにとなえる。
それは尤もであるが、あえてここで持論を展開させてもらうとするなら、
というかもうすでによく言われてることだけど自ら言葉に残すとしたら、
「聴く」ことは食事に近い。
味わい、感じとって、ひとを形作るもの。

ともすれば、コンサートは腕を振るった料理だ。

時間をかけて献立を考え
一つずつ完成させていく
口に運んでもらう、たった一瞬のために

その刹那的な様も時間芸術に重なるわけです。

プログラムを考えて、組み合わせ、並べ方をあーでもないこーでもない…それぞれが食べ頃であるようにつくって並べ、さあ召し上がれ、どうかお口に合いますように願いをこめて…準備をしております お待ちしております コンサートの宣伝でした

というかこういうのって敬語の方が良いんでしょうか?

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